【 18.つっつき先生伝説 】 潔き命 見つめて 生きていた …

■ ゆめの森動物記07-
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18.先生 2007年11月04日10:14
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■18. 先生 ■■
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俺は 大学どころか高校さえ
51歳になって やっとのことで卒業できた… 無知蒙昧の輩だ。
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だが うちの子供たちの【 かーちゃん 】…つまり俺が一緒に子供を作り 子育てをした元妻・元パートナーは 教育大学を卒業して 教師を仕事にしている…
いわゆる「先生」だった。
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資格で言うと 小中高ぐらいの子供たちに★教えて★…もいい資格を持っているらしい。
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学校などの職場で 給料・報酬を貰って 他人の子供たちを教える事には そんな風に 車の運転や 病気の診断・治療など 様々な専門職同様に 公による【免許・資格 】が必要なようだが
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★自分の子供たちに教える資格★…は 親だったら誰にでもあるものなのだろうか? …などと 思ったりもする…?(笑)
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昨日ネットで次のような記事を見かけた。
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これでも新聞記者? 記者の資質を疑う朝日記事 http://kamitsuki.news.coocan.jp/07B/koredemoshinbukisya.htm □2007/11/02■
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最近の朝日新聞に載った二つの記事を紹介する。いずれも記者としての適性を疑うに十分な内容であるが、さらにそれを校正し掲載した新聞社の能力にも疑問を投げかけるものである。
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 ひとつは10月30日に載った、養老孟司氏が神奈川県立秦野高校1年3組の
総合学習の時間に教壇に立った話である。
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☆この記事の筆者によれば…↓となるらしい?
「…養老氏の知識や理解、とくに言葉の定義は ↓拙論でも書いたように
( …http://homepage2.nifty.com/kamitsuki/baka.htm ) 以前から問題が多く、教えるという行為は自粛してほしいと思う。…」
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養老孟司…でさえ
「教えるという行為は自粛してほしい…」
…と言われてしまうのだったら
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俺たち無知蒙昧は 子供たちに対して口を開くことさえ 許されないのではないか? …などとも 思えてしまったりする(笑)
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どんな親でも 自分の子供たちには正しいことを 教えてやりたいと 誰だって思うだろう?とは思うが  でも
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■ 何が正しいことなのだろう?
となると 案外 解らなくなる。
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暮らしの基本的なこと 例えば 食べ物のことでも…。
ムスリムでは豚肉を食べてはいけないが 牛や鶏はいい…らしい?
ヒンドゥーでは 牛はダメで…
仏教では 殺生そのものが ダメ?
精進料理に 肉はダメだけど 魚介類はOK?
ベジタリアンは どこまでがOKなのか?
塩や砂糖は 添加物…化学物質ではないのか?…などなど
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俺には さっぱり わからない。
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以前なにかのTVで 山の動物たち…サルやシカなどが 廃屋の床下の土を舐めに来ているシーンを観たが… 動物も 健康のために…サプリメントを取っていたりするのかもしれない。 などと思ったが
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そうしたことは 親や仲間たちと 一緒に行動し 暮してゆく中で 学んでゆくものなのだろうと思う。
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親が アル中だと子供がアル中になる確率が高いのも…そうしたことなのだろうと思う。
(それに 親子は 当然 体質や気質も 似ているのだろうし…)
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先生…先に生まれた者?
先を生きていた者?
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先生と呼ばれるほどのバカじゃない。 ともいうし…
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ともあれ 54歳にもなると…
どこにいっても 自分より年下の奴が多くなる。
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お手本にしたいような先生
★先行く人★も 少なくなってゆく。
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俺の人生の中で先生と呼べる人は
誰だったんだろう?
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 ……
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あきうに引っ越してきた次の年(1983)…美学校仲間のS君夫婦が 横浜から引っ越してきた。
ある日 S君が「いい名古屋コーチン売ってたぞ!」…と言うので
一緒に観に行って まだ若い番(つがい)を買ってきた。
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その後すぐに桂チャボも飼い 庭に放し飼いにしていた。
コーチンのオスは 成長して
見事に 奇麗で 逞しい雄鶏になって ニワトリ家族のボスになった。
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次の年あたりに今度は 仔犬と仔猫を いっしょに飼い始めた。
外で遊ばせて観ていると 犬猫にエサをやると… そのコーチンの雄鶏が その仔犬仔猫たちの餌を食いに来る。
お食事中の仔犬仔猫 まだ子供だ。
雄鶏に つんつんと突っつかれて あえなくその場を譲ることになる。
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雄鶏の突っつきは別に怪我するほどでもなく 仔犬たちも おとなしく引き下がって大した問題でも なかったのだが そのころ3歳だった長男Y君は雄鶏が弱いものいじめをしているのが どうしても 許せないらしくて…
現場を 発見すると…
「コラー!」っと… 棒キレをもって雄鶏退治をしていた。
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そして いつしか Y君は雄鶏を
「つっつき屋」と 呼ぶようになっていた。
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そんな ある日 Y君が俺の所に 駆け寄ってきて 手を見せた。
見ると 握った右のこぶしの ちょうど真中辺り… 確か薬指だったと思うが そこから血が出ている。
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訳を訊くとYは 泣くわけでもなく
少しうつむいて 淡々と語った。
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「つっつき」と 相対峙して
奴の飛び蹴りに 正拳衝きで対抗したところ まともに 奴の蹴爪を食らってしまった…という事らしかった。
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俺は…
「 目をやられたら危ないから…気をつけろよ! 」
…と 諭して 手当てをしてやった。
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 ……
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次の朝 Yと庭に出て なにげなく遊んでいると 向こうから
「つっつき屋」が やってきた。
そして Yの近くまできた時…
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Yは 奴に向かって おもむろに かしこまって 直立不動になり
そして 頭を深々と下げて こう言った。
「 つっつき先生! おはようございます! 」
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 ……
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う~む どうも… あの一撃で
いままで舐めてかかっていた つっつき屋の 凄さを知り
今後は 態度を改めて接しようと 決意したようだった。
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なにはともあれ…
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それ以来 「つっつき屋」は…
うちの家族の中では
「つっつき先生」と呼ばれるようになり…
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一目置かれる存在となっていった。
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 ……
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19.伝説  … 命がけ …
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命を賭けて…守るべきもの。
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レスキューの仕事などを見ていて
いつも感心する。自分自身の 身の危険を冒しながらも 人命救助に向かう姿には 多くのことを考えさせられる。
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災害 遭難 事故 etc.…
現実の中には 多くの危険が潜んでいる。どこで誰が どんな状況で 
遭遇するかわからない 危機的状況。そうした状況を想定して
日々訓練に励んでいるプロフェッショナルがいる。
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家庭を作り 子育てをしている間
自分の家族を守る 責任の重さを いつも感じていたように思う。
あらゆる状況に 自分は 本当に適切に 対応・対処できるだろうか? などと…思いながら。
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そんな中で あっという間に 25年過ぎてしまった。すでに結果論的にしか語れない過去の事になった。
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子供たちは 家庭は 家族は
いま どうなのだろう
なにが あり なにが 足りないのか?
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自分は一生懸命やったと言えるのだろうか?
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本当に 命がけで家庭を家族を
守り抜いてきたと言えるのだろうか?…などと。いろんな事を思う。
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 ……
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…つっつき先生…の事は うちの家族の中では
「つっつき伝説」として… いまなお 語り継がれている。
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なぜかといえば彼の最後が あまりにも 壮絶で
忘れがたいものだったからだ。
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彼は 最期まで 決して ひるむことなく家族を守って 犬と闘って 死んだのだ。
… それも2頭の 猟犬と …
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いや正確に言えば 殺されはしなかった… 最後の最後まで 戦い抜いて… 生きていた。
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しかも 2度も…なのだ。
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まさに… 彼は
命がけで 家族を守り抜いたのだ。
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1回目の時は もうダメだろうと思うほどやられていたが…奇跡的に 復活した。しかし 2度目のときは ダメだった。
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 ……
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ある朝 鶏たちの けたたましい鳴き声で 俺は 外に飛び出した。
見ると セッターらしき猟犬が2頭 逃げ去っていくのが見えた。
放されていた近所の猟犬だという事は直ぐにわかった。
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しかし すでに鶏たちは1羽も居ない…。あの頃は 庭の向こうは まだ杉苗を植え付けたばかりで
鶏が隠れてしまうぐらいのブッシュになっていた。
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しばらくすると チャボの雄が無傷で元気に出てきた。そうして 少しずつ 雌鳥や雛鳥たちも みんな無事で藪から出てきた。俺は ホッとした… キット みんな やぶに隠れて 難を逃れたのだろう…と思えたからだ。
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しかし いつまで待っても つっつき先生が出てこない。
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俺の頭に 不安がよぎった。
そう 誰もやられないわけはないのだ。犬は鼻が利く 鶏が藪に隠れたって 鼻で見つけてしまう筈だ。
みんなが無事だという事は…
その間 誰かが 犬の注意を惹きつけ続けていたということだ。
…と 改めて つっつきひとりだけ出てこない理由に思い当たり
あわてて藪の中を探し回っていたら…出てきた 生きていたのだ!
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しかし 羽根はボロボロアチコチ血が出て 無残な姿で 足つきもよろよろとやっとの事で歩いて出てきたのだが まさに力尽きたかのように バッタリと 倒れてしまった。
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 ……
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19.伝説 … 命がけ …
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 復活
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 ……
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彼は 力つきて 目を閉じ 息も絶え絶えに…ぐったりして倒れたままだった。俺は 抱き上げて 水道のところへ連れて行って 傷ついた顔の 血を洗ってやり 口を開けて 少し水を飲ませてやり 日当たりに横たえてやった。
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つっつき先生は 目を閉じて 顔を上げることさえなく ぐったりとして ただ息をしているだけだった。
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次の日も 様態は変わらなかった。
口から 水を飲ませたり ミミズをやったりしていたが…
…どうみても もうダメだろうという感じに見えた。
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たまたま その日は 知人から
廃鶏をもらうことになっていたので 受け取りに行った。
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帰ってきて その雌鳥を小屋に放したのだが…その雌鳥を 見た途端に …なんと それまで 死にそうになって ぐったりとしていた「つっつき先生」が なんと すっくと…立ち上がった!のだ。
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そして 真っ直ぐに雌鳥の所に行って 交尾した…。
そのあまりの変貌は 奇跡と言うほかないように思えた。
雄鳥の… 生殖本能のスイッチ …なのだろうか?
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とにかく その瞬間から つっつき先生は元気を取り戻して行き…
数日後には 元のように ニワトリ家族のボスとして しっかりと 復活していった。
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いのちの 驚きと 不可解には いつも 圧倒される。
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現代科学の 専門的知識からみれば 説明できることでも
シロウトの俺からみれば… 奇跡的なこと
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生き物が 生きていること そのこと自体が 不思議な事にさえ思える。
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ところが そこで終りではなかった。
そのあと 少しして また猟犬がやって来たのだ。
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そして その時も つっつき先生は 同じように 勇敢に闘い抜き 家族を守り通した。
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そして 同じように 力つき 倒れ伏した。しかし 奇蹟は2度は起こらなかった。
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つっつき先生は ついに そのまま静かに 眠るように死んでいった。
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 ……
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彼は なぜ なんのために…
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逃げようともせずに 命がけで 闘い抜いたのか
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誰の目から見ても 明らかだと思えた。
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コイツは ホントーに 凄い奴だと 俺にも思えた。
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いのちに学ぶことは 計り知れない。
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人間であれ ニワトリであれ 同じように 生きている。
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そんな風に思えた
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… つっつき先生の生き様 …
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 … 伝説 …
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それは 1985年の夏の
あきうゆ めの森アトリエ雲さんちの
…【 ほんとの話 】でした。
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  ………
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